2013年7月26日金曜日

岩佐敏子詩集『ふしぎランド』

岩佐敏子詩集『ふしぎランド』ができました。     


詩と絵 岩佐敏子
こども四季の森 ISBN978-4-905036-05-0 C0092
定価:1200+

あっ 大変  おへそがない!

音で編んだ不思議なジャケット・文字で描いた
すてきな絵・ポップコーンになったジャズ・
お国自慢の民謡を煮こんだおいしい鍋……

ことばの遊び場「ふしぎらんど」にようこそ!


岩佐 敏子(いわさ としこ)
東京都生まれ。
詩集に「へんてこらんど」(リーブル、1997)、「で
たらめらんど」(いしずえ、2004)、「かぞくぞくぞ
く」(共著、らくだ出版、2003)、「そっとポケット
のなかに」(共著、日本出版教育センター、2008)。
インド児童文学の翻訳書に「トラの歯のネックレス」
(共著、ぬぷん児童書出版、1998)、「ヒマラヤの風
にのって」(共著、段々社、2009)。
日本児童文学者協会会員、日本国際児童図書評議会
(JBBY)会員、モダンアート協会会員。

ゆかた

夏やすみになると
いなかにいって
ゆかたをきて
お祭りに
でかけたものだった  

おまつりの舞台では
おばあちゃんが
民謡をうたいながら
三味線をひいている
おじいちゃんが
祭りばやしにあわせて
太鼓をたたいている

わたしの ゆかたは
おばあちゃんの
三味線の音を
たて糸に
おじいちゃんの
太鼓の音を
よこ糸にして
織った
かすりの木綿で
できていた


ジャケット

冬やすみになると
ストーブのそばで
ジャケットをはおって
賢治の童話を
よみふけったものだった
本のなかでは
セロひきのゴーシュが
くるったように
セロをひきまくっている
山猫があわせるように
はげしく
ドアをたたいている
わたしのジャケットは
ゴーシュの
セロの音を
たて糸に
山猫の
ドアの音を
よこ糸にして
織った
ツイードで
できていた



なかのよい音と色

キヤッツ キヤッツ キヤッツ
音にさそいだされて
黄色がついていくと
音は
遊園地でげんきよく
遊んでいる子どもたちの中に
はいりこんでいました
子どもたちのまわりは
黄色でいっぱい
サラ サラ サラ
音にさそいだされて
うす緑がついていくと
音は
みずみずしい若葉が
しげった木々の林の中に
はいりこんでいました
林は
うす緑でいっぱい
トン トン トン
音にさそいだされて
茶色がついていくと
音は
家をつくっている
大工さんのたたくハンマーの中に
はいりこんでいました
大工さんのまわりは
茶色でいっぱい
ポロン ポロン ポロン
音にさそいだされて
水色がついていくと
音は
あじさいの花に
降りそそいでいる雨の中に
はいりこんでいました
あじさいのまわりは
水色でいっぱい







ふしぎらんどの時間たち
       ―――あとがきに代えて―――      岩佐敏子



ふしぎらんどでは
いっしょうけんめい
働けば 働くほど
時間が
どんどん へります
だから
働きすぎる人は
時間の貯えがなくて
時間貧乏になります


ふしぎらんどでは
働かないで のんびり
遊んでいると
時間が
どんどん たまります
だから
遊んでばかりいる人は
時間の貯えがいっぱいで
時間大尽になります

 

2013年6月4日火曜日

  内村剛介「スターリン獄の日本人-生き急ぐ」より


何が恐ろしいといって、深夜墓地をあばいて屍体を剥ぐ亡者の姿ほど恐ろしいものはなかろうと少年の日に想像してはおびえたものだが、今こうして生身の人間から金歯を抜く様を見てみれば、このほうがよほどすさまじい。手ごめという日本語がなぜか金歯剥ぎにぴったりあてはまる。
 剥ぎ取られるほうはもはやあらがう様子もないのに、このあわれな男の口の中へ木の端が押し込まれこじくりまわされる。歯茎はとうのむかしに破れ、男は血にむせんでいる。むせぶたびに、抵抗する気かと責められ、血だらけの木片で目頭をなぐりつけられる。口から目から髪まで血だらけだ。
  内村剛介「スターリン獄の日本人-生き急ぐ」より
当局の審問は判決があったのちもつづく。それは拘禁の全期間にわたる。この審問は精神の糧をも奪い、かくしてついにみずから進んで隷従するところの「奴隷の心性」をつちかうことを目的としている。だから囚人はみずからの精神の糧を守り、養い、これを当局に向けざるをえない。この精神の糧をめぐるたたかいはことばにはじまり、ことばに終わる。(作者の情況メモより)

*****************

内村剛介は敗戦後シベリアに抑留。
スターリンが死ぬまでラーゲリに政治犯として拘禁されていました。
身体はすでに囚人であり、奴隷である。
完全な支配はその精神の隷従を求めている。
それはいかにしてそのものの抵抗する精神の糧を奪い取るかにある。
その上で、
「この精神の糧をめぐるたたかいはことばにはじまり、ことばに終わる」
ここに、ことばのなんたるか、文学の何たるかが示されています。


2013年5月23日木曜日

メルマガ「親子でよむ詩」の配信をはじめました

いよいよメルマガをはじめることにしました。


親子でよむ詩
http://www.mag2.com/m/0001598016.html

毎週一個ずつ詩を選んでいきます。
********************

子どもから大人まで楽しめる近現代の名詩を選び、簡単な解説も付して
毎週一回お届けします。

季節や自然、生き方などわかりやすく味わいのあるよい詩を選びたいと思います。

ストレスの多い日々を生きていく心の栄養になりますように、
好きな詩に出会えますように、
詩を好きになってもらえますように、

※著作権があるものについてはできる限り著作権者に連絡し、許可をいただいた上で掲載しておりますが、一部著作権者のご連絡先が確認できない作品がございます。お気づきの場合はご連絡ください。

********************

よろしければご登録をお願いいたします。
親子でよむ詩の会 ^^;

2013年1月7日月曜日

三上緑詩集『いつか会った風に』

『 いつか会った風に』 三上緑詩集ができました。

2013年1月15日発行 A5 変形判 上製 192頁 
著 者  三上 緑   絵  篠原晴美
ISBN978-4-905036-04-3 C0092    1200円+税

著者略歴
 三上緑(みかみ・みどり)
 神奈川県横須賀市生まれ。三歳のとき、横浜市戸塚区(現・栄区)に転居、現在に至る。一九七〇年代後半から童話の同人誌「はとぐるま」に所属し、童話と詩を書き始める。その後、重清良吉氏、水橋晋氏の指導を受け、詩作に専念。二〇〇一年から詩誌「かもめ号」同人。詩集に『足』『太陽の散歩』(ともに樹海社刊)がある。

画家 篠原晴美(しのはらはれみ)
 神奈川県生まれ 木版画家(水性木版画で作品を作る)。 主な受賞歴 2000,2001,2003,2006年 ボローニャ国際絵本原画展入選 、2000年 フランス Figures Futur 2000(児童書ブッ クフェアー)入選。童謡絵本や児童文学雑誌の表紙、挿画多数。展覧会活動も精力的に行っている。

詩集より



やまゆり


やまゆりの花が
咲きほこっていた
あの夏の日
一本 一本 つんだ
かかえきれないほどつんだ
オレンジ色の花粉で
まっ白な
ワンピースがそまった
おこられるなと思った
でも
母は
ありがとうと言って
大きな
花びんにいけてくれた



百日紅(さるすべり)


まっさおな空
百日紅の花が
ふんわりと咲いている
一輪一輪は
さみしげな花だけど
いっぱい集まって
毎年おとずれる夏
あなたの好きだった
花が
暑さの中
私にがんばれと
おしえてくれる



からっぽ


頭の中が
コロコロ カラカラ
ばあちゃんは
首をふると音がするという

わたしは
耳をちかづけたが
聞こえない

でも
ばあちゃんには
ひびきわたっているという

若かった頃は
子どもをせおって
毎日 店で
コロッケをつくってた

今はその音が聞こえるだけ
涙をポロポロこぼしながら
くりかえす
からっぽ
からっぽと



としさんの世界(二)


としさんの
気持ちよさそうな寝息が
ながれる

夢をみている 
子どものころ
横須賀の海で
まっ黒になって
カニやフグをつかまえ
夏は一日中あそんだ

目がさめて
がっかりしている
九十歳のとしさん
   




としさんの世界(


訪問入浴で
さっぱりした午後
昼寝中に
「おかあさん」 と
わたしは
「なに」 というと
気持ちよさそうな顔
ねごとだった

どんな夢をみているのだろう
うれしそうな顔
きっと母親に
おやつのふかしいもを
もらった夢を

秋の陽ざしに
ほっとする


としさんの世界(


しかたないんだ
だれのせいでもない
としさんはつぶやいた

会いたいな 息子に
もう少し生きていてくれたら
部屋の空気が
つめたくとまった

私は
聞こえないふりをして
としさんの
そばをはなれた

今年いちばん寒い日


 
心がゆれる


なんでもなく
くらすことが
あたりまえだと思う
わたしがいる

一日一日がすぎていく
だけど
このふつうのときが
いちばん幸福だと
あの大地震から
いつも思っている

ゆれる心をおさえて









 

2012年8月17日金曜日

山中利子詩集『空に落ちているもの あたしのためいき』



  わたしとシロくん
  
シロくんが わたしのお兄ちゃん    
シロくんは玄関の敷物(しきもの)の上にいる  
ごわごわした白い毛のむねにもたれて わたしは眠る  
母さんの夢を見る
母さんは どこかでわたしを見ている
 
どこなのか 探し続ける  
 暗い森   
大きな木
   
 藪をくぐり 明かりをさがして  
 母さん 母さん  と呼び続ける  
 探しても探しても 見つからない  

 藪の中で  光るものがわたしを見ている  
 気がつくと  シロくんが わたしをぺろぺろとなめている
 光っていたのは  シロくんの茶色の目    
 目を覚ましたわたしは  シロくんのしっぽと遊ぶ  
   パタリ パタリ     
 動くしっぽに狙いをつけて   
腰を高く上げて  おしりをふって
 スリッパの陰から  
 (ねら)い定めて飛び(かか)る    

 シロくんはゆっくりと   
 何時までも
 パタリ パタリ   
 しっぽを振り続ける (わたしはサクラから)
 

 




「詩を書くおばあさん」の詩――山中利子小論

「詩を書くおばあさん」の詩――山中利子小論   

 子ども向けの詩を専ら書く詩人とはいったい何者だろう? 子どもの感覚と生活感情に即した詩は誰にでも書けるものではない。どう考えても、ごく選ばれた少数の児童文学者であり、同時に特別な素養をもつ詩人だけに可能なことだ。彼等は子どもに読んでもらうために詩を書いているのだろうか。実際にはそうではないように思える。むしろ、彼等の書く詩は子どもの目、子どものことば、子どもの世界から多くの詩想を得て、自ら子どもの世界に遊ぶかのように思われる。彼等のごく少数は子どもの頃の思い出をつい昨日の出来事のようにありありと覚えているようだ。
自ら「詩を書くおばあさん」と自認する山中利子もどうやら子どものための詩人として選ばれた一人である。子どもの生活感情と感覚に即した詩集として、山中利子の『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』(リーブル・一九九六年)ほど見事な世界を私はほかに思い浮かべることができない。

ねむるとき

おじいちゃんとおばあちゃんの まんなかにねる
おばあちゃんはわたしをだいて
せなかをとんとんたたく
わたしがねむってしまったとおもうと手は
とまる
ふたりはしずかに話をしている
「まなべのとくさんは どうしたろう」
と おばあちゃんがいう
「とくさんは 死んだよ」
と おじいちゃんが答える
「やきちさんは たっしゃだろうか」
「上野村のやきちさんも二年半まえ死んだ」
「そんじゃ おしずねえさんは」
「おしずさんはなあ どうしているか
死んだかもしれねえなあ
わしより 四つも上だから」
ふたりは死んだ人のことばかりかぞえあげて
そろって
「なんまんだぶ なんまんだぶ」
と ひくくつぶやく
死んでしまった人たちが
わたしの上をいったりきたりする

子どもは大人よりも早く寝なさいと言われて、寝床につくがなかなか眠れない。そんな子どもの上をいったりきたりする死者は本当の出来事のように感じられる。最後の二行は付け足しではない。単なる子どもの夢想として扱われていないのだ。

さて、この詩集は、孫である幼い女の子がおじいちゃんとおばあちゃんの三人で過ごす日々を一人称で語る連作である。したがって女の子にとって「意味」があることしか描かれない。それは大人から見ると取り立てて意味のないことばかりで、電灯のひもの影が虫に見えたとか、学校にいくのがいやだとか、おばあちゃんのお餅を返す手の素早さだとか、ダダをこねて大の字になると空がきれいとか、野原でへびを怖がりながらオシッコしたとか、せきどめの薬と称してのまされたナメクジがおなかの中を散歩するとか……そういう出来事ばかりである。しかもどこかしらとんちんかんである。いつの時代の、どこの村で、女の子は何歳で、どうして祖父母といっしょに暮らしているか、というようなことは一切書かれていない。おじいちゃんもおばあちゃんも「わたし」もただ生きているだけにすぎない。懸命に、それなりに、ただ生きている。事件らしい事件もないのだが、おばあちゃんが死に、おじいちゃんが死に……、それも女の子にとっては「いなくなった」だけのことにすぎない。おじいちゃんは「ありがたい」と言って死んだという。この詩世界では死ぬことも「ありがたい」ことなのである。空の雲のかたちが変わるように出来事は坦々として描かれるが、世界はそのまま何も変わることはない。

山中利子は昭和十七年生まれ。五人兄弟の三番目。敗戦直後の食糧難の時期に一人だけおじいちゃんおばあちゃんのもとに預けられたという。『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』が詩人自身の幼時の思い出をもとにしていることは間違いないだろう。敗戦後の数年間は特別な時期で、日本は占領されて、平和と民主主義の国に大転換させられる。忠君愛国者の虚脱や餓死もあれば、今日一日生き延びれば儲けものという大いなる楽観もあった。詩集にはそういうことは一切描かれていないが、描かれた世界がこの世のどこにもない場所、無可有郷のように思えてくる背景には、やはり大人も真っ白になった特別な時期ということがあるかもしれない。

『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』は連作なので散文と詩の中間を行くような文体の作品があったが、他の詩集を読むと山中利子の詩はかっちりとまとまりのよいものが多い。また一つの大きな傾向として、子どもの空想をそのまま差し出したようなお伽話のような詩が多い。
「雲ってハンカチよりもっと大きい/ハンカチは今/雲の上にチョコンと乗っかって/私が行って腰をおろすのを/待っている//風といっしょに/あそこまで行ってみようか」(「風とハンカチ」部分)
愛するべきはこうしたお伽の世界であり、子どもらしいお伽話こそ読者を現実の桎梏から解放し、喜ばせる。お伽話は山中利子の詩の大きな要素である。
また山中利子の詩はモラリストの詩でもある。
「すきだってことは/たべちゃいたいってことなんだって//ライオンは しまうまを/うさぎは クローバーを/とうさんは かあさんを/すきなんだよ」(「すきだってことは」部分)
そのものズバリの詩である。「すきだってことはたべちゃいたいことなんだって」ならば、最後の「とうさんは かあさんを」にドッキリ。だからモラルに反すると愛のない性教育論者のように短絡的に考えてはならない。単純この上ない性愛の事実をこうして素敵な詩として表現できることは、逆に、山中利子の詩が極めて道徳性の高い詩であることを意味している 。
そして言うまでもなく山中利子の詩はユーモアと遊び心を何よりも大切にしている。

本来、子どもは融通無碍なものだ。かつて重症心身障害児専門の訪問看護婦であった山中利子には大人がどれほど苦しみながら子どもを愛するか、そして子どもを愛することで大人がどれだけ救われるのか、まざまざとその目で見てきたことだろう。いかに「無常」であろうとも「虚無」であろうとも、いわゆる「生活詩」や「社会」、「教訓」、「人生」といった方向に山中利子のベクトルはない。そんなものとは無縁に山中利子の詩の中にいる子どもは遊びつづけるだけだ。それこそが子どものための詩人として選ばれた証だと言える。
子どもの世界のなんと大きくて広いこと。子どもの世界は、狭い社会で苦しむ大人の考えを遙かに超えた大いなるいのちの源であり、豊饒な詩の世界そのものである。

追記 山中利子は第五詩集『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』で第三回三越左千夫賞、第七詩集『遠くて近いものたち』で第二十七回新美南吉児童文学賞を受賞している。

2012年4月6日金曜日

『このて60号特別記念号』 ができました

ISBN978-4-905036-02-9 C0092 ¥953E
『このて60号特別記念号』
著者 このての会  定価1000円(本体953円+税)
発行発売2011年3月16
四季の森社 A5判並製 本文216ページ カバー4C表紙4C

このて の会は関西を中心に活躍する詩人の会。代表下田喜久美氏。
児童文学、朗読の会、少年詩などさまざまな活動がつづけられている。