これからは少し個人的な思いも気楽に書いてみたいと思う。
子どものころから詩がすきだったが歳を取ってからますます詩が好きになった。
若いころにもっていた詩を特別なもの として大切に思う気持ちは、
病気してから、消えてはいるが
それでも詩に代わるものがほかにあるとは思えない。
ここ数年、淵上毛銭の詩が気に入っている。
なんともいえないが救いを感じる。おおげさではなく…。
柱時計 淵上毛銭
.ぼくが
死んでからでも
十二時ががきたら 十二
鳴るのかい
苦勞するなあ
まあいいや
しつかり鳴って
おくれ
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自分の死後を夢想してこのような詩をかくのは楽しかっただろうなあ。
ちなみに淵上毛銭は若くして結核性股関節炎(カリエス)になり、病臥の生活を余儀なくされた人である。絶望の日々にあって自分の死後を夢想することに楽しみを覚えたことは、それでもやはり一つの救いであったと思う。
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