2024年12月11日水曜日

「ただごと詩」のすすめ

 

「ただごと詩」とは生活詩であるが臭くない、何気ない瞬間の詩として考える。短歌で言う花屋の花を賞ずる風の「ただごと歌」からのわたしの造語である。

短歌では「花屋の花を愛でむ」式の月並みな作品としてただごと歌はいつの世にもたくさんつくられているが現代詩においてはただごと詩はむしろあまり作られていないのではないかと思う。月並みな詩はもちろんあるのだが、それは自己中な詩でうんざりする。ただごと詩は自己中とは違うものと私は考えている。

そんなことを思ったのははたちよしこさんのいくつかの詩を読んだからだ。

はたちさんの詩には「ただごと詩」の印象が強い作品がある。どれも一連の事象を観察するのだが、全身全霊の注意力で、最後に自分の存在や気づきを拾い上げてくる。そこで拾い上げられる自分のゆらぎも見事に現前したものとして客観化され、処理されている。

 具体的に詩を少し引いておきたい。

 

   ままごと(「カヤック」18号より)

 

 白詰草にすわって

 花を摘む

 手はままごとを憶えている

 白い花を

 ごはんにしたこと

 こころは忘れていたのに

 

 「手はままごとを憶えている」というところが観察である。この一行の客観性が効いているので最後の一行が陳腐ではなくなってくる。

 

  夏(「カヤック」18号より)

 

 「そうめんが できましたよ」

 母に呼ばれる

 

 新聞を読んでいた父が 立っていく

 祖母がかいだんを 下りてくる

 姉がおつかいから かえってくる

 

 食卓には 薬味のネギとショウガ

 ガラスのうつわには

 そうめんが いっぱい

 

 「ひえてるね」

 「おいしいね」

 

 あぶらぜみの声が

 家を つつんでいる

   

 ことしも 夏になると

 わたしは

 母の声に よばれる

 

 第一連では「母に呼ばれる」が最後の連では「母の声に呼ばれる」。実に微妙な言い回しの違いだが、これだけで母の不在を感じさせてしまう。凄い。鍛え上げた上手さはそのままに、ここでは子どものころの拙くて幼い心情も見事に客観化されている。

 

 最後に「ただごと詩」として「こぼれる!」を紹介しておきたい。

 

  こぼれる!

 

 ――かみしばいやさんごっこしよう

 わたしはいった

 ふたりの子は目をかがやかした

 ――見るのは 十円だよ

 

 はこをさしだすと

 子どもたちはうれしそうに

 十円を入れるまねをする

 

 ――それでは はじまり はじまり

 そういって わたしは

 はこを

 さかさまにしておいた

 

 そのとき 子どもがさけんだ

 ―― あっ おかねが こぼれる!

 

 かみしばいが

 終わっても  

 「こぼれる!」といった

 ちいさな子のしんけんな目が

 わすれられなかった

 

  日常の何気ない一瞬のこと、ちょっとひっかかっても詩にしないで通り過ぎてしまうような出来事である。「観察」と「修練」がないとここまで的確に言語作品にはできないものである。そして一口に「観察」といっているが、「観察」されたものは「子ども」の目ではなく実は「わたし」自身なのである。

 

 

2024年3月4日月曜日

好きな詩人 淵上毛銭 

 これからは少し個人的な思いも気楽に書いてみたいと思う。  


 子どものころから詩がすきだったが歳を取ってからますます詩が好きになった。

 若いころにもっていた詩を特別なもの として大切に思う気持ちは、

 病気してから、消えてはいるが

 それでも詩に代わるものがほかにあるとは思えない。


 ここ数年、淵上毛銭の詩が気に入っている。

 なんともいえないが救いを感じる。おおげさではなく…。


   柱時計  淵上毛銭

.ぼくが

死んでからでも

十二時ががきたら 十二

鳴るのかい

苦勞するなあ

まあいいや

しつかり鳴って

おくれ

---------------------------------

 自分の死後を夢想してこのような詩をかくのは楽しかっただろうなあ。


 ちなみに淵上毛銭は若くして結核性股関節炎(カリエス)になり、病臥の生活を余儀なくされた人である。絶望の日々にあって自分の死後を夢想することに楽しみを覚えたことは、それでもやはり一つの救いであったと思う。

 

2023年9月14日木曜日

四季の森社ホームページ  https://sikinomorisya.com

 四季の森社のホームページができました。

https://sikinomorisya.com

このページでの新刊紹介などはホームページに移ります。

ぜひご覧ください。


2023年7月2日日曜日

現代こども詩文庫 5 戸田たえ子詩集

 



現代こども詩文庫 5 戸田たえ子詩集

発行日 2023年6月25日

著者 戸田たえ子

企画・編集 菊永 謙 カバー絵 大井さちこ

四六判並製本文192ページ

発行所 四季の森社  定価1320円(本体1200円+税)

 ISBN978-4-905036-36-4 C0392


戸田たえ この既刊詩集、未刊作品からのアンソロジーに加えて特別に父藤原義衡の戦記『私のビルマ戦線』を抄録する。解説に畑島喜久生、はたちよしこ。菊永謙。


著者戸田たえこ略歴

一九四八年 愛媛県大三島町(現・今治市)に生れる。中学のころから詩を書き始め、児童文学誌「ぷりずむ」秦敬主宰の同人になる。一九八七年 父のビルマ戦記「私のビルマ戦線」を出版する。著書に詩集『しずかなる ながれ』(近代文藝社)、詩集『夕日は一つだけれど』、詩集『ききょうの花』。


『戸田たえ子詩集』から


  夕日は一つだけれど


山に のぼると

また

山が みえる


山って

いくつあるのだろう?


夕日が しずむ山は

一つだとおもっていた


ずっと

そうおもっていた


みんな しっているのかな……


ゆかちゃんに おしえたい

としくんにも おしえたい


夕日は一つだけれど

山は

たくさん

たくさん

あるってことを─



  ぐい実を食べると


小鳥のように

ぐい実の枝には とまれないけれど

高い空も とべないけれど

ぐい実を食べると

小鳥のきもちが

ちょっぴり わかる


ことしも

ぐい実を食べながら

小鳥になった気分!


わかります?

この気分!?


─いつか

  小鳥と 話してみたい

  わたしのことも

  小鳥のことも

  どっちもどっち

  わかり合いたい─

                注 ぐい実……ぐみの実のこと



  母の声


海が見える

みかん畑にかこまれた小高い丘に

父母の墓はある


墓のまわりには草が生え

白い小さな花が咲き

たがいに ささえ合い

風にゆれていた


一瞬

─草も生きとるんじゃけん

  ひかんでええよ

と 母の声が聞こえ

そのままにして 手を合わせた


気づくと

どこかで小鳥が鳴いて……


雲の流れる空の下

この世の私は

やわらかな早春の風と

みかんの木々の

葉ずれの音に見送られ

細い坂道を下った


2023年6月21日水曜日

『猫がゆく鎌倉』 雪奴 

 『猫がゆく鎌倉』


2023 年6 月10 日 初版第一刷発行

著 者  雪奴(ゆきやっこ)

発行所  四季の森社

ISBN978-4-905036-35-7 C0776

B5変形 並製 本文オールカラー56ページ

定価1320円(本体1200+税10%)


古都鎌倉を猫が案内する絵本

帯文から

鎌倉の路地裏まで、よく知る小町猫たちの道案内。

粋なお店や隠れ家、隠れパワースポットへ、ニャーンとご招待!

小町通りの各名店の看板ねこたちがピアノやチェロを

奏でながら、道行くあなたを招く一冊。すてきな猫たちが満載!!


著者  雪奴(ゆきやっこ)

日本大学美術学部デザイン科入学。

早くからファッション関係の仕事でファッションイラストルポを行う。

絵を学ぶため渡仏、同時に雑誌ルポの仕事。

フランスで前後して2匹の猫を育てあげ共に帰国。

アニマルグッズ会社で商品企画をする。猫に関しての個展2回“ 猫と少女” “ 巴里の香り”

グループ展示数回。著者に旅の絵本“ パリッ子猫のフィフィ” らくだ出版。


もくじ

1 猫の道と大佛次郎別邸

2 若宮大路のじゅうたん店

3 鎌倉市場

4 鎌倉の海

5 鶴岡八幡宮

6 荏柄天神社

7 小町通りへようこそ

8 若者の街

9 吉兆庵美術館

10 隈 研吾のBAM

11 建長寺の虫塚

12 蔵に住む人

13 小売店とレストラン

14 鎌倉の朝の小さな生きもの

15 杉本寺

16 ベランダより朝焼けの鎌倉の山と空

17 看板猫

18 そぞろ歩き小景

19 鎌倉彫の小町家族

あとがき


2022年9月5日月曜日

ざわざわ─こども文学の実験 第7号 特集 矢崎節夫

 


ざわざわ─こども文学の実験 第7号

特集 矢崎節夫

2022年9月1日 発行

編集 草創の会  発行所 四季の森社

 A5並製 468ページ 定価 1320円(本体1200円+税10%)

 ISBN978-4-905036-33-3 C0095


矢崎節夫特集

児童文学者、童謡作家であり金子みすゞを再発見、現代に復活させた矢崎節夫を特集する。矢崎節夫がいかにして童謡や絵本、紙芝居、童話、さらに童謡史研究などを書き続け、児童文学の世界を歩んで来たか、そのさまざまな作品群と共に、その軌跡を辿る。


執筆者

あまん きみこ、いとう ゆうこ、岩田早苗、呉菲(ウー フェイ)、内田麟太郎、おがた えつこ、織江りょう、菊永 謙、草場睦弘、佐相伊佐雄、杉本深由起、高畠 純、野呂 昶、林 瀬那、武鹿悦子、宮川健郎、矢崎節夫、山本純子、吉田定一、他多数


主要目次

特集 矢崎節夫

童謡アンソロジー

矢崎節夫の童話

矢崎さんのこと

〈童謡〉をめぐって

〈絵本〉をめぐって

〈矢崎節夫の作品について〉

矢崎節夫と〈金子みすゞ〉及び〈童謡史〉研究をめぐって

矢崎節夫〈ある日 ある時〉

会員の童謡、詩作品

その他


2022年6月24日金曜日

現代こども詩文庫 4 田代しゅうじ詩集


 現代こども詩文庫 4

 田代しゅうじ詩集

2022年7月15日 発売

企画・編集 菊永 謙 

カバー絵 大井さちこ 

発行所 四季の森社 

ISBN978-4-905036-32-6  C0392

定価 本体1200円 税120 合計1320円

田代しゅうじの既刊詩集などからの選集と創作民話、近年のエッセイを収録。作品論詩人論解説に小林雅子、三谷恵子、菊永 謙。


著者 田代しゅうじ


1937年 鹿児島県薩摩川内市に生れる。

1978年 児童文化の会(井野川潔、早船ちよ)「童

詩童謡研究会」に入会する。

1982年 「少年と海」「少年と猫」の2作品が「子

ども世界」(児童文化の会)童詩童謡賞を受賞する。

1985年 詩集「少年と海」にて第16回埼玉文芸賞

児童文学部門賞を受賞する。

2006年 詩集「野にある神様」てらいんくより出版。

2017年 詩集「ともだちいっぱい」を四季の森社

より出版。第22回三越左千夫少年詩賞を受賞する。

日本児童文学者協会会員、詩誌「みみずく」同人。草

創の会「ざわざわ」会員。茨城県取手市在住。




田代しゅうじ詩集から


 方言


みんな方言でかたろう

ふるさとの人ばっかり

一年に一度のふるさと会

おもいきり方言でかたりもそ

よかが

よかが

こげんうれしこたなか

はんも

おいも

よかがよかが

みんなないでんかたらんけ

よかが

よかが

やまいもをほらんなよか

よかが

よかが

みんなかごしまじゃ

みんなよかひとじゃ

よかが

よかが

他人のわるぐちやいわんほうがよか

他人のこつもいわんことじゃ

よかが

よかが

方言なよか

方言なよか

           ないでん=何でも

           やまいもをほらんな=酒を飲んでくだをまくこと

           いわん=云わないこと




西郷どんがうさっがいきやった


こんばばが、とうぐらいのころじゃった。

ちょうど、といいれも、おわつたころ

外のえんがわに、腰かけて、

おとっちゃんとかたいかた

からいもが、ゆであがつとを

待つちょらいた

「おいどんな、えんがわで、わらぞいを

つくちょった」

西郷どんが、じっと、みちょらいたが

「そげん、ちんかてで、みごちぞいが

 でくんね、おいどんに、いっそくうってくれ、」

西郷どんな、さいふの中らぜにをだしやった

「おいどんな、うれしゅして、ぜんないらんち、ゆうたが、西郷どんが

ふとか手で

とっちょけ、とっちょけち、ゆわいたでもろた、どっさいじゃった」

西郷どんな太か人じゃった

「ばあちゃん、ほんのこで、西郷どんじゃっど、西郷どんのみたと、ほ

んのこて」

「こん白髪ばばが、嘘をいゆもんか

おいどんが、編んだわらぞうりを

踏んで、庵の宇都山に、うさぎがいにいきやった」

それを聞いた、少年は自分で見たように得意になった

明治二二年生まれの少年の祖父を生んだ人

少年のひいばあちゃん

その話を聞いたのは昭和二二年

少年は十歳

ひいばあさんは八二歳か八三歳

西郷どんな太か人じゃった

昔の家は戸口のうつくわれかかった引き戸を開けて

「だいか、おいけ、おったけ」

暗い家の中を、じろりとみまわし

「おいどんな、西郷じゃ、こんからいもをゆでて、くれんけ」

西郷どんな、持って来た袋の中からからいも、どさち、だしやった

からいもを、ゆでてやると

「半分でよか、こんからいもはおいどんと、犬のめしじゃ」

半分はみんなで食べろといって残りの半分を大きな袋にいれて背中にせ

おおうと

「おおきにね、あいがとうございもした」

犬を連れて、庵の宇都山にうさぎがりにのぼって、いきやった

ひいばあさんは

「そげん、えらか人やったち

おいどんなしたんにゃった」

あの高い縁側に、ちょこんと腰かけてからいものゆであがったとをまっ

ちょいやった

こけ、二度ばっかりきやったね

ひいばあさんは、竹の皮で草履をつくっていた

長生きしたひいばあさんの草履をふんであるくと、長生きするちゅう

て、みんな

こうてくれた

草履は一〇足ずつ丸い輪にして、天井につるしてあった

こげな、昔のかぞえかたを教えてくれた いいちく、でえちく、ちくまが、

こんぶ

それ、また、こきゅ、たろう、じいんがのき

これで一〇じゃ

少年は

ひいばあさんが、いつまでもいきていてほしいと思った

「おいげえん、ばあさんな、西郷どんのしっちょらっど」

と、大きな声で自慢のすいごたった

あのばあさんは、今、庵の宇都山のいりぐちにある、ちいんかはかのな

かにねむって、おいやっど。

俗名 田代イロ

そして、あの少年は、今頃

風になって、故郷のやまを

思いきりかけまわっています

きっと


  方言の説明

①うさっがいきやった=うさぎ狩りにきました

②といいれも=とり入れも

③かたいかた=語り合っていた

④からいもが=さつまいもが

⑤ゆであがっと=ゆであがると

⑥わらぞい=わらぞうり

⑦そげん=そんなに

⑧ちんかてで=ちいさなてで

⑨みごちぞいが=みごとなぞうりが

⑩でくんね=できるね

⑪ぜんないらん=お金はいらない

⑫とっちょけ=とっておけ

⑬ゆわいたで=云われたので

⑭どっさいじゃった=たくさんだった

⑮ほんのこて=ほんとうに


2022年5月27日金曜日

現代こども詩文庫3 畑島喜久生詩集

 


現代[s1] こども詩文庫 3

 畑島喜久生詩集

2022年510 日 発売

企画・編集 菊永 謙

カバー絵 大井さちこ

発行所 四季の森社

ISBN978-4-905036-31-9  C0392

定価 本体1200円 税120 合計1320

 

著者 畑島喜久生

1930年長崎県対馬に生まれる。

小学校教師として働く。こども本位の児童詩教育を目指し活動。『現代児童詩』若干、「これからの児童詩教育」など児童詩関連の著作多数。小学校教師定年退職後は白百合女子大、東京保育専門学校等に勤務しながら日本児童文学の編集にも関与。少年詩の一層の発展を目指し、「少年詩の学校」「少年詩の教室」など発刊。「畑島喜久生詩集」など少年詩関連の著作多数。

 

畑島喜久生の既刊4冊の少年詩集などからの選集と近年のエッセイを収録。作品論詩人論解説に内田麟太郎 、中上哲夫、藤川幸之助、須田慎吾、菊永 謙。

 

畑島喜久生詩集から

 

   スズメを信じる

 

かんがえてみてください

人間にとって

いちばん身近な鳥といえば

スズメではないでしょうか

 

周(まわり)中にいっぱいいる

だから忘れている(忘れられている)

 

昔 何十年前かまで

わたしたちの国にも

「大衆(たいしゅう)」と呼ばれている人たちがいました

毎日毎日の暮らしのことしか考えない大勢の人たちが

それが 暮らしが豊かになっていつの間にか消えていた(いった)

そしていま不景気で

自由だけがいっぱいあって

貧乏になるのも自由 自殺するのも自由‥‥‥

 と

それが

─その他大勢

ではなくテンデンバラバラに生きているのです いまのいまは‥‥‥

 

ところで

あの人間にとっての

あるかなきが如くにたくさんいたスズメたちはどうしていますかね

中国から流れてくる大気汚染にも耐えて元気でいられるか─

いるか

いないか

いないか

いるか

わたしはいると思います

人間みたいに「新中間層」になったりはしていないので

「鳥」としての「大衆」の名のままでいると‥‥‥

わたしは そのように

「自然」の中での

「人間」にとって

いちばん身近かであった「鳥」のことを深く信じていますので‥‥‥


 [s1]

2022年3月13日日曜日

清水ひさし詩集 空のピアノ

 

清水ひさし詩集 空のピアノ

2022 3 15 日  第一版第一刷発行

著 者   清水ひさし

 絵    大井さちこ

ISBN978-4-905036-30-2                 C0092

定価1540円(本体1400円 税140円(10%))

 

インスピレーション短詩から恋のせつなさまで

三越左千夫少年詩賞詩人のエンターテイメント詩集!

以下、清水ひさし詩集『空のピアノ』より

 

流れ星

 

夜ごとの 星の婚姻

愛する者への身投げ

 

 

ジョウビタキ

 

ことしもわが家の庭にきて

ケケッ ケケッと

ジョウビタキが笑っている

思いだし笑いをこらえきれないように

 

昨年の秋から 今年の春まで

わが家族のやらかしたあれこれを

庭から見ていて 私たちを見たら

反射的に笑いがこみあげるのだろう

 

彼は 毎年わが家の庭にやってきて

わが家の 泣き笑いの人間喜劇を

ただ見して楽しんでいる

 

立派な人間の一人もいない家の

あほうたちのやらかす一生懸命が

彼には面白おかしいのだろう

 

 

ニガウリのきざみ男の料理10

 

ニガウリは苦い

さつま大長という品種はとりわけ苦い

島津一族の長い圧政の過酷さほどに苦い

 

どんなに苦かろうと まずかろうと

ガリと 口をひん曲げて噛み

食べて死なないものはなんでも食べ

生きぬいてきた薩摩の父祖たち

 

そうして食べつづけているうち

苦みの奥にひそむおいしさを

生きていく力を見つけだした父祖たち

 

ニガウリにささっと湯をかけ きざみ

薩摩の男たちはそれで晩酌する

苦カヒコ良カ味ガシテクッデヤ と

人生でも語るように

 

 

 

むかで

 

二本足歩行の者には

片方の足の列が十九本という奇異

ややこしい三十八進法の歩きかた

それが おれだ

 

赤い触角 黒い胴体 黄色い足

ばらばらの心の色を内に抱え

苦しみ生きる

それが おれだ

 

だれにも似ず

日当たらぬ所で一人生きていく

それが おれだ

 

まちがいの名で百足虫と呼ばれ

世間に外れて生きる

それが おれだ

 

 

表札

 

水俣市××町××番地

××忠男

静子

あかね

かりん

ゆき

 

表札の家族四人の名に

マジックインキで引かれた線は

黒い線香のようでした

 

まもなく 湾に黒い廃液の注ぐ町で

忠男さんも亡くなりました

戦友たちの墓を廻っている途中でした

 

薄い鉄板に白塗装の 昭和のあの表札は

潮風と歳月に錆びていきました

 

 

時計屋さん昭和のお店

 

学校帰り 時計屋さんをのぞくのが好きだった

両膝の先を失ったおじさんが

ルーペをはめ いつも時計の修理をしていた

 

おじさんは クラスの宮崎君のお父さんで

宮崎君の話では 海に落ちた時計でも

スイスの時計でも修理できるとのことだった

 

店中掛けられた時計の それぞれ違った時間は

休み時間のぼくたちのように自由だった

壁の高いところには 一級技能士の額と

広島の原爆の時計の写真が並んでいた

 

両腕の肩まで腕時計をつけたロシア兵が

ダワイダワイと金品を奪っていたことを

お客が おじさんに語っていたことがあった

 

おじさんの店には

修理を頼むお客さんが多かった

店には 古い昭和の時代に狂った時計が

新しい時間を刻む日を待っていた



宮崎

宮崎で不思議な巨木を見たことがある 
その木の名を地元の古老に問うたところ 
なんかの木じゃろうなと平然と答えた  

とろんとろんという町を訪ねたとき 
すぐそこと教えてもらった そこは 
二十キロ程先だった

自販機でコーヒーのボタンを押したところ 
お茶が出てきたのは宮崎でのことである
間違えたのはおまえだと 友は断言した 
おまえは おまえの中の宮崎にいるんだと

そう 私は私の中に宮崎の町を移し 
何かの大きな翼に抱かれ
木の名を知らずに老い
すぐそこと道を教えているのだった

2021年10月20日水曜日

チョコレート 山本純子詩集

 チョコレート 山本純子詩集

2021 年10 月31 日 初版発行

著 者  山本 純子

装幀&イラスト ルイコ

四六判 上製 本文96ページ

ISBN 978-4-905036-29-6 C0092 定価1540円(本体1400円 税140円(10%))

 



ことし初めて見たトンボ とか

赤くなってきたグミの実 とか

ともだちに教えたいこと

いくつもみつけて

向こう岸で会ってから

こんなもの みつけたよ

って

話し合う(作品「湖」より)



著者略歴

山本 純子(やまもと・じゅんこ)

1957 年 石川県生まれ。

2000 年 詩集『豊穣の女神の息子』花神社

2004 年 詩集『あまのがわ』花神社(第55 回H 氏賞)

2007 年 詩集『海の日』花神社

2009 年 句集『カヌー干す』ふらんす堂

2009 年 朗読CD『風と散歩に』

  ミュージカルひろば「星のこども」発行

2014 年 少年詩集『ふふふ』銀の鈴社

2017 年 俳句とエッセイ『山ガール』創風社出版

2018 年 詩集『きつねうどんをたべるとき』ふらんす堂

2019 年 少年詩集『給食当番』四季の森社


詩集から


 チョコレート


石だんがあるから

ジャンケンをする


わたしが つづけて負けて

友だちが どんどん先へ行って

さいしょはグー の声が

どんどん大きくなってしまう


いま勝った分の

チョコレート あげるよー

って いわれて せっかくだから

ミ・ル・ク・チ・ヨ・コ・レ・イ・ト

って 石だんをのぼった



ポスト


ポストのなかの

手紙たち


どちらまで

と言い合って


おや そんな遠くまで

北へ 南へ

それぞれ みんな ちりぢりですね

と言い合って


また だれか落ちてきた

どちらまで

すてきな切手を つけてますね



 あした


あしたって

いま どのへんにいるのかな

夜中を ずっと歩いてくるのかな

まっくらで

石につまずいたりしないかな

木にぶつかったりしないかな

川へころげおちたりしないかな

あしたが ちゃんとやってくるか

心配で

いつものように ねむれないよ


あしたって

遠足が あること

知ってるのかな



 ちびた えんぴつ


ちびた えんぴつを

土に うめて

水を やって

ときどき 大きくなあれ

って 声をかけたら

が 出て

するする のびて

えんぴつの木になる

なんてこと ないかなあ


えんぴつの花が 咲いて

 (きっと 白い花だよ)

えんぴつの実が なって

ちびた えんぴつが

もとの 長いえんぴつを

いっぱい 実らせるんだ


赤えんぴつの

ちびたのを うめたら

秋には

えんぴつの木が

きれいな 赤い葉っぱを

そよがせるだろう




わたしはびわ湖のそばに住んでいます。そのびわ湖、深呼吸する、って聞いたことありますか。ちょっと説明しますと、びわ湖の北部では、冬に表面近くの水が冷え、冷たい水は重いので湖の底に沈みます。すると底の水が押し上げられて、表面近くの水と底の水がひっくり返ることになります。そのことを、全層循環と言います。冷たい水は酸素をたくさん含んでいますので、水の循環は酸素の循環にもなり、それで、全層循環は〝びわ湖の深呼吸〟とも言われています。びわ湖が深呼吸すれば、湖底で生きる生物たちにたっぷり酸素が届くのです。

 わたしの好きな詩句たちも、大げさな言い方かもしれませんが、わたしの心に全層循環を起こすように思います。思い浮かべるだけで、心の底まで酸素が行きわたり、深々と新鮮な空気を吸ったような気分になるのです。

 わたしはわたしの詩を書きながら、ほかのたくさんの詩人たちのすてきな詩句に、これからも出会っていきたいな、と思います。(著者あとがきから)



2021年8月22日日曜日

 


ざわざわ─こども文学の実験 第6号 A5並製 304ページ

2021年8月25日 発行  

編集 草創の会  編集委員会

 発行所 四季の森社

 定価 1320円(本体1200円+10%)

 ISBN978-4-905036-28-9 C0095

 

内容

創作特集

ふすま猫  西村祐見子

杏山    村上ときみ 

末弱記者 森 忠明 

あきらと殿さま 岩田早苗 

西暦21××年ぼくとAI ロボットのめしつかい 藤 真知子 

ハンカチの木 大澤桃代 

持久走大会でビリになる 高橋秀雄 

 

小特集 心ときめく詩・童謡・文学

 あこがれ たかはし けいこ 

 まど・みちおの童謡との思い出 佐野のり子 

 みすゞと私の出逢い 林 瀬那 

 ときめいた詩たちのほとりで 村瀬保子 

 心を支えた詩「希望」やなせたかし 津川みゆき 

 普段着姿の野長瀬正夫さん 吉田定一 

魂と向き合った詩人エミリ・ディキンスンと出会って 小野 浩 

新川和江の「わたしを束ねないで」と「春」 山田よう 

わたしのバーネット『秘密の花園』 わたしのエッツ『もりのなか』 井上良子 

幼年期の童謡は歌と共に 池田もと子 

 

エッセイ―ある夜、いつものように 小泉周二 

笑う詩人たち 内田麟太郎 

AとB どちらの詩が好きですか? いとう ゆうこ 

共に過ごした長い日々のこと 千田ふみ子 

中学時代の図書貸出票を見つけて 廣田稔明 

詩集批評 鮮やかな深みのある詩行たち 菊永 謙 

ことば荘便り 小林雅子

 

詩 童謡 そのほか

 

 

2021年7月15日木曜日

片岡美沙保詩集『ねこのまえあし』

 

ねこのまえあし 発行日 2021年7月31日
ISBN978-4-905036-27-2 C0092 定価1000円(本体909円+10%税) 

著者 詩 片岡美沙保  絵 浜田洋子

お花をつみにゆきました
だれかのかなしみを

猫たちは、野辺のたんぽぽのようにたくましく、
晴れた日にふる雪のようにはかなかった。

待望の詩集

著者 片岡美沙保(かたおかみさほ)
一九七七年 茨城生まれ。
第一詩集『オベリスク』( 茨城文学賞)
第二詩集『月宮記』
茨城県詩人協会会員、日本詩人クラブ会員、「やさしい詩を書く会」会員


片岡美沙保詩集『ねこのまえあし』から


かなしみ

皿に雨が降っている
陽は線をみせている
波紋が散らばり
岸にすわれてゆく
沈むものがあるのだ
残りの日を

きみは泣きぬれて明るいほうへ走りさる

雨が降っている

岸が
雨にけぶる
森が
間遠くひかる

キィ
キィ

夕べの椅子をひく

皿に
雨が降っている
匙がしずんでいる

しらない家の



  (クロのうた)


きみは はなのもとに ねむり
ふるはなびらに みみを うごかす

みみは ひにすかされ うすく みちをひき
はなびらたちは みちを さらされてゆく

ひたいに みしるしのように はなびらはおち
きみは いかいを そまず さまよう

つむりのなかで きみは ひごと わかくなる
はなびらに しずみ しずむにうかび

きみは かすかに あいている
そこからもれでる といき

きみが なくのを むねにきく
きみが なくのを 



  お花をつみに
                
お花をつみにゆきました
ふうちゃんのかなしみをつみたくて
わたしは あさゆう
ふうちゃんのかなしみに似た色の
お花をさがしてあるきました

しろい家の庭のかたすみに 
お花はさいていました
ふかい、ふかいるり色をした花でした

プツッと音をたてて お花をつんだとき
わたしのこころも 
プツッと なるようでした

ふうちゃんに お花をわたしました
ふうちゃんは すこしよろこんだけれど
お花がかわいそうで 
こんどは二人で 
るり色のなみだをうかべたおんなのこを
さがしにゆきました

たくさんの人とすれちがいました
どの人も そのひと色のなみだをためて
いきていました

ある町をとおったとき、
ほそい木のかげに
おんなのこがしゃがんでいます
みると、るり色のなみだをうかべていました
ふうちゃんは おんなのこのなみだを
そっとぬぐうと
おんなのこの サラサラしたかみの耳もとに
お花をかざってあげました

おんなのこはうふふとわらいました
ふうちゃんもうふふとわらいました
お花もきれいにかおっています

お花をつみにゆきました
だれかのかなしみを



  夏の日

祭りの日、お囃子のなか、町を出る。
お盆休みのあいだ、血のつながる人たちと過ごす。二階建てのその家は、昔、麹屋を生業とした。石倉と、広い庭があった。
蝉時雨のなか、氏神様に手を合わせる。蝉が、けやきの木に幾匹もとまり、鳴き声がふりそそぐ。小さなうろのあるサルスベリが紅く咲き、足元には鶏頭がならんでいた。玄関先には、フウセンカズラが風にゆれていた。わたしは内気で挨拶もろくにできない。いつも、気の利いた兄の後ろにかくれた。
毎夏、年の近い横浜の従姉妹たちと遊んだ。姉はよく喋り、妹は無口だった。ドールハウスに人形遊び、それに飽きると、ピアノを弾いた。たどたどしいアラベスクや紡ぎ歌が客間からこぼれた。夜、年上の従兄たちが二階へ上がってゆく。そして、一晩中酒盛りをした。翌日、昼近くなって、従兄たちが降りてくる。遅い朝食を、酔いのさめない顔をしながらかきこんでいる。
わたしは、二階が好きだった。二階からは庭が一望できる。南の窓から、風がふき込み、カーテンが帆のように膨らむ。わたしは、本棚のなかの漫画に熱中した。ナッキーという少女の出てくる漫画だった。夜、手持ち花火をした。線香花火をするころ、わたしたちは夏を終えている。線香花火の赤い玉が、それぞれの夏に落ちてゆく。

ボンボン時計が四つ鳴った。階下から、祖母のいびきが聞こえる。わたしはひとり、階段を降りてゆく。家が、寝静まっている。寝息のなかに、家の声を聞く。毎夏、家の声を聞きに行く。




シルヴィア                                           

しろいひびがあって

いろのぬけた日と
いろのぬけたからだを
細長い目をしたむすめはもっていました

文字はむすめをさっていましたから
かぜのそよぎやうたをたのみにいきていました

むすめはうたをさがしていました

それは
しっているのにわすれてしまっているうたでした

あめがふりました
あめはじょうねつてきでした
むすめはからだをぬらしながら
じぶんからひかれるあめのみちを
細長い目でみつめていました

あめはさってゆきました

よるがきました
よるはおしゃべりでした
よるはだれかのかわりにはなしをするのがすきでした

むすめのうたのことをたずねてみました
よるはくびをかしげて
それはしらない
といいました
かわりにおはなしをひとつしてくれました
むすめがめざめるとよるはもういませんでした


いつのまにかむすめのかみはのびていました
かみがかぜにそよいでみみもとでさわさわとなりました

とおいひびがやってきました
とおい日 むすめはなにをしていたでしょう

そう 少年とあそんだ
むすめとおなじ細長い目をした少年と
あそんだのでした


  とおい とおい むかし
  
  あなたとあそんだ
  
  あなたはわたしにかなしい といった

  わたしたちはそれをうたにしてあそんだ

  わたしたちはそれをかぜにのせた

  わたしにはきこえる

  そう きこえる





2021年5月27日木曜日

現代こども詩文庫 2  内田麟太郎詩集

 現代こども詩文庫 菊永謙責任編集 

第二回配本 現代こども詩文庫 2  内田麟太郎詩集

発行日 2021年5月25日

 ISBN978-4-905036-26-5 C0392 定価1320円(本体1200円+税) 

著者 内田麟太郎 企画・編集 菊永 謙 カバー絵 大井さちこ



 現代こども詩文庫は、子どもの読者から広く大人まで楽しめる詩と詩人の全体像を明らかにし、広く世に問うものである。基本的には詩人の詩・童謡の自選集として児童文学評論家菊永謙が企画、編集し、解説を付したものである。
 すぐれた詩篇の数々、童話、そしてエッセイ・評論等を収録し、さらに詩人について他者からの重要な批評の再録、オリジナルの解説を収載し、詩人の裡に輝く児童文学の姿を浮き彫りにしたい。

著者 内田麟太郎(うちだ りんたろう)
1941年福岡県大牟田市に生まれる。
詩集に『きんぎょのきんぎょ』(理論社)『うみがわらっている』『まぜごはん』『たぬきのたまご』(第四回児童ペン賞大賞)『なまこのぽんぽん』(以上、銀の鈴社)『ぼくたちはなく』(PHP研究所、第15回三越左千夫少年詩賞)『しっぽとおっぽ』(岩崎書店)『あかるい黄粉餅』(石風社)『なまこ饅頭』(無極堂)などがある。
絵本に『おれたちともだち』シリーズ(偕成社)『さかさまライオン』(絵本にっぽん賞、童心社)『がたごとがたごと』(日本絵本賞、童心社)『うそつきのつき』(小学館児童出版文化賞、文溪堂)など多数がある。童話に『ぶたのぶたじろうさん』(クレヨンハウス)『ふしぎの森のヤーヤー』(産経児童出版文化賞、金の星社)など多数。第55回児童文化功労賞受賞。第39回巖谷小波文芸賞受賞。日本児童文学者協会理事長(2016年5月〜2020年5月)。


2021年4月29日木曜日

野田沙織さん 三越左千夫少年詩賞を受賞!

 四月中旬、日本児童文学者協会の関係者様から電話があり、今年度の三越左千夫少年詩賞に野田沙織さんの詩集『うたうかたつむり』が受賞したと伝えられました。

 野田さんの詩集『うたうかたつむり』は数年前から出版のご相談をいただいていたのですが、昨年の3月から詩集の編集が始まり、初秋には刊行の予定でした。画家の浜田洋子さんに挿絵などをお願いして編集を進めていた矢先、7月7日に野田さんは病気で41歳の若さで急逝されました。ご家族の意向もあり、12月に詩集を刊行いたしました。

 野田沙織さんは学生時代から詩作をはじめ、300名ほど応募があった詩のコンテスト「詩の少年詩の少女」で見事に入賞し、その後詩誌「マグノリアの木」「みみずく」などで詩作品を発表し、また児童文学誌「ネバーランド」「少年詩の学校」「ざわざわ」などに詩やエッセイを発表されていました。詩作において詩の言葉を吟味し、選び抜くことを徹底されていたことが印象的です。

 詩集原稿をまとめられた時に、その暗さについてメールで触れると「詩のダークさについては…自分では毒の部分も大切にしながら、救いのない書き方はしていない」とお返事をいただいたのがいまだ記憶にあたらしいです。昨年の2月のことでした。

 もっと早くお元気なうちに詩集が刊行できていたらと惜しまれますが。むしろこうして一冊の詩集として残せたことを喜ぶべきかと思います。しかも名誉ある三越賞を受賞されたことを版元としてとても嬉しく思っております。野田さんのごめいふくをお祈りします。


2021年2月26日金曜日

現代こども詩文庫 1  山中利子詩集

 

現代こども詩文庫 菊永謙責任編集 

第一回配本 現代こども詩文庫 1  山中利子詩集

発行日 2021年2月25日 初版第一刷発行 定価本体1200+

著者 山中利子 企画・編集 菊永 謙 カバー絵 大井さちこ

 ISBN978-4-905036-24-1 C0392


 現代こども詩文庫は、子どもの読者から広く大人まで楽しめる詩と詩人の全体像を明らかにし、広く世に問うものである。基本的には詩人の詩・童謡の選集として児童文学評論家菊永謙が企画、編集し、解説を付したものである。

 すぐれた詩篇の数々、童話、そしてエッセイ・評論等を収録し、さらに詩人について他者からの重要な批評の再録、オリジナルの解説を収載し、詩人の裡に輝く児童文学の姿を浮き彫りにしたい。

 現代こども詩文庫 1  山中利子詩集 (詩人論作品論 森くま堂、菊永謙)

著者 山中利子(やまなか としこ)

一九四二年一月二十一日 茨城県土浦市に生まれる。

少女時代、「いづみ」「文芸首都」などに詩を投稿。国立療養所東京病院付属高等看護学校卒業後看護師として働く。

一九九八年、詩集『だあれもいない日―わたしの おじいちゃん おばあちゃん―』(リーブル)で第三回三越左千夫賞受賞。二〇〇八年、詩集『遠くて近いものたち』(てらいんく)で第27回新美南吉児童文学賞受賞。日本児童文学者協会会員。

著書に『早春の土手』、『空にかいた詩』、『まくらのひみつ』、『こころころころ』、エッセイ集『かわいや風の子―重症心身障害児訪問看護便り―』、童謡詩集『ガードレールの歌』ほか多数。


2020年12月7日月曜日

『うたうかたつむり』詩:野田沙織  絵:浜田洋子

 


『うたうかたつむり』詩:野田沙織  絵:浜田洋子

2020 12 25 日 発行 四季の森社 定価:本体1200円+税

ISBN978-4-905036-25-8 C0092

 

著者略歴 野田沙織(のださおり)

一九七九年三月二日、東京生まれ。福岡で育つ。九州大学文学部卒業。在学中に「詩の少年・詩の少女」入賞。卒業後は図書館司書として働く。同人誌「マグノリアの木」「みみずく」に参加。児童文学誌「ネバーランド」「ざわざわ」「少年詩の学校」などにも詩やエッセイを発表。二〇二〇年七月七日、病気にて急逝。享年四十一歳。

 

本集から

 

 

 かたつむり

 

かしゃ

足の下で こなごなになった

それは きのうここにいた

かたつむり

だったかもしれない

 

そんなにも

たよりない殻で

きっぱりと

身をまもっていたのに

ごめんなさい

 

かしゃ

とりかえしのつかない

しずかな

音だった

 

 

らったった

 

 

アライグマも

ワライグマも

ワルイクマも

 

あつまった

わになった

らったった

 

 

やくそく

 

 

ならない口笛

ふかふか吹いて

少しだけ 空を向いて

自転車に乗ってたら

 

  たぶん

  わたし

 

もしかして

出会う前かもしれなくて

じゃなきゃ もう一度

生まれた後かもしれないけど

 

口笛といっしょに

うたってくれたら

 

  振り向くよ

  にっかり

 

 

 たまご

 

 

うっかり

だきとめてしまった

 

あんまり しずかに

あんまり しぜんに

あなたは

あずけていったから

 

まだ かえらないたまごだ と

おもったものは

だんだん あたたかく

だんだん やわらかく

ふくらんで

 

あなたが

むかえにこないまま

うでのなかで たまごが

かえったら

 

なにをたべる いきものの

わたしは

おかあさんになるんですか

 

ゆめか

くもか

わたがしくらいなら

つかまえてあげるつもりです

2020年9月4日金曜日

ざわざわ―こども文学の実験5

 


ざわざわ―こども文学の実験5

草創の会編 2020930日発行

ISBN978--905036-23-4 C0095 定価:本体1200円+税

表紙絵:大井さちこ

特集 「赤い鳥」創刊100年を越えて

 



目次

特集 「赤い鳥」創刊100年を越えて

 『赤い鳥』の童謡運動の今日的意義について 畑中圭一

 みやぎの『赤い鳥』『おてんとさん』と鈴木道太 宮川健郎

 『赤い鳥』を今につないで 藤田のぼる

 佐藤義美と『月の中』 矢崎節夫

 「この道」と白い時計台 内田麟太郎

 まど・みちおの詩の世界 尾上尚子

 『赤い鳥』出身の詩人 与田凖一と巽聖歌 吉田定一

 「赤い鳥」と小川未明 小川英晴

 「赤い鳥」を支えた二つの個性 織江りょう

 詩人たちの横顔 菊永 謙

 記憶の中の清水たみ子さん 三谷恵子

 『赤い鳥』投稿詩人 真田亀久代 山本なおこ

 わかると 嬉しくて おがたえつこ

 光のみえる詩 藤 真知子

 唱歌、『赤い鳥』、思うこと 徳升寛子

 北の国の投稿詩人 和泉幸一郎 江森葉子

 清水たみ子の詩

 風とうさぎと貝がらと 小林雅子

 赤い実を食べた いとうゆうこ

 まど・みちおの完璧 大竹典子

 まど・みちおさんと

 周南市美術博物館 林 瀬那

 

童謡 

おがた えつこ あさ

関原斉子 はるの木

佐藤雅子 カナブン ブン

矢崎節夫 ぽちと ぼく

宇部京子 ぼくと月

織江 りょう とりになった ひ

西村裕見子 ちょっとだけ

大竹典子 だれもいない日

二宮龍也 涙を拾いにやってきた

吉田 定一 はえさん

 

詩作品Ⅰ 

野田沙織 はるのたより

吉田享子 しずく

さき あけみ ひみつ

藤 真知子 きみのなかには

たかはし けいこ 五月/帰り道

山本なおこ カマキリ

いとう ゆうこ よじのぼる

井上良子 ココよココよ

林 木林 ひとふわ

みもざ すみれ ツーン と

清水ひさし なぞなぞが苦手な人へのなぞなぞ詩/蚊取り線香/走り高跳び

 

詩作品Ⅱ 

松山真子 こがらしいちばん

江口あけみ 大雪注意報

久保恵子 霧の朝

名嘉実貴 しずくちゃん

岩佐敏子 「こんばんは」いろいろ

岩本良子 寒施行

三谷恵子 冬の使者

あきもと さとみ きめたの

山田よう ふりこゆらゆら


詩作品Ⅲ 

内田麟太郎 少年/わたしが

村瀬保子 てあて

はたち よしこ しーん/夏

田代しゅうじ 路地裏

菊永 謙 夢のかけら

千田文子 かいつぶり

津川みゆき 風の後れ毛/やまゆり

小泉周二 月に向かって/さりげなく

谷萩弘人 蝉

下田喜久美 ストック

小野 浩 点滴ポール

まえだ としえ ゆうぐれ

楠田伸彦 太 陽(俳句)

山中利子 ある写真

 

創作 オレたちの始業式 高橋秀雄

漫画 楽寛さん 徳升寛子

連作「あらわれしもの」⑤ あらわれしもの・四姉妹 最上一平・作(村山里野・絵)

エッセイ―〈歌のある風景〉 

童謡の宝庫、信州・松代 海沼松世

海辺の町の夭折の詩人 小川英子

おめでとうがいっぱい─三鷹のお誕生日会のこと─広松由希子

三木卓の詩を読む─「行進」「系図」を中心に─ 宮野マチ

ことば荘便り5 ガマ吉の春 小林雅子

ざわざわ投稿作品・選評

執筆者紹介/編集後記

 

2020年5月3日日曜日

松山真子『だれも知らない葉の下のこと』






詩集 だれも知らない葉の下のこと

2020 年5 月5 日 発行

著 者 松山真子
 画  こがしわかおり
A5変形 上製本 84ページ 定価:本体1200円+税

ISBN978-4-905036-22-7 C0092



著者 松山真子

一九四五年生まれ。信州中野市で育つ。詩集『こんぺいとう』星の環会『詩集﹁さ

よならさんかく・またきてしかく』北信エルシーネット社など。日本児童文学者協会会員。



画家 こがしわ かおり 

一九六八年生まれ。埼玉県育ち。作絵に『おうちずきん』(文研出版)など。絵に『料理しなんしょ』(偕成社)『ダジャレーヌちゃん世界のたび』(303BOOKS)、詩集『ぼくたちはなく』(PHP研究所)『魔女のレッスンはじめます』(出版ワークス)など。

HP http://www.pagoda-house.net/



帯より

だれも知らない葉の下には、だれかがいるのです。そっと さがしてみたくなります。

松山さんの詩には、人びとの暮らしや 動物たちの不思議なつぶやきの楽しさがあり 作者の心やさしさが広がっていきます。    はたちよしこ



詩集より



 霧の中   松山真子



草やぶを抜けると

そこは一面の乳白色の霧の中



家に帰る道が見つからない

さっきまであったものが

すっかり消えている



大きな魚が泳いでくる

海藻が揺れている

海の中の乳白色



わたしはどこ

わたしの家はどこ



とおいところ



海の底にはりついている

小さな魚が



ずっとずっと昔の

わたしだと言いはっている





かわせみ   松山真子



ほんとうは

きれいな山の清流が好きだった

ほんとうは

だれもいない谷川で子育てをしたかった

ほんとうは輝く青色とオレンジ色の羽を

だれにも見られたくなかった



でも

いつから好きになってしまったのだろう

オタマジャクシがいっぱいいる

公園の池を



子どもたちの口に小魚を入れながら

ほんとうの自分はどっちなんだろう 



考えている





せ み   松山真子



とめないで

きょうは ただ

おもいっきり なきたいんだ





ごきぶり   松山真子



ちょっとちょっと

ほんきでやるきですかい

そのふるえるスリッパで





ばあちゃんに   松山真子



座るとすぐにねむってしまう

そんなふしぎな椅子があると

ばあちゃんが話してくれた

それを

ずっと さがしているんだって



このごろのばあちゃんは

夜ねむれない

風が雨戸をゆらしても

犬のタロウが鳴いても

すぐに起きてしまうのだと



幼稚園のとき

いつも送り迎えしてくれたばあちゃん

公園の回転ジャングルするときも

いつもだまって待っていてくれた



座るとすぐにねむってしまう椅子は

どこにあるのだろう



さがしてきて

ばあちゃんに座らせてあげたい


2020年4月13日月曜日

『詩集たたかいごっこ』小泉周二 

『詩集たたかいごっこ』小泉周二  2020 4 15 日発売

A5変形 上製本 136ページ 定価:本体1500円+税
ISBN978-4-905036-21-0 C0092

父となった小泉周二の子育て詩集

著者小泉周二
一九五〇年、茨城県那珂湊市生まれ。十五歳の時に先天性進行性の難病「網膜色素変性症」と診断され、将来は失明の可能性が高いということを知らされる。以来、生きていく支えとして詩を書き続ける。茨城大学教育学部卒。
詩「カンソイモ」で日本児童文学新人賞、詩「あとえ」で童謡ダイエー賞、詩「いもむし」で毎日童謡賞、詩集『太陽へ』で日本童謡賞、三越佐千夫少年詩賞。著書 詩集『放課後』(一九八六年)、『こもりうた』、『太陽へ』(一九九七年)、『現代児童文学詩人文庫9小泉周二詩集』(二〇〇四年)、『小さな人よ』(二〇一〇年)、その他。

帯より
父親と子どもというのはなんだか本当っぽくない。まわりがそう思うだけでなく、
自分でもなんだかそんな気がするのだ。ただ、正直なところ、だからこそ「がんばってる
な、おれ」と思うことができる。それは男の甘えかもしれないが、やはり自分を多少はほ
めてあげないと、なかなかやっていけないのだ。(藤田のぼる氏の解説より)


詩集より

ファンタジー

パパ かきごおり つくって
と言うので
はい いちごとメロンとレモン どれがいいと聞くと
うーん あかいの
と言う

はい いちごですね
カシャカシャカシャカシャ シロップ ジャー
はい どうぞ
手の平をおわんにして差し出すと
片手でつかんで自分の口に持っていく

おいしい
と聞くと
あまーい
と答える

パパ パン屋さんに行ってくまさんのパン買ってくるから待って
てね
と部屋を出ていく
はい 気をつけてね
と送り出す

ドンドンドンと足音が遠ざかり
ドンドンドンと足音が近づいてくる

ただいまー
お帰り 早かったね
と言うと
パン屋さんおやすみでくまさんのパン買えなかったの
と言う
うーん そうだったのかあ


許してくれない

きのうもおとといも聞いたのに
美空はまたきょうも聞いてくる

パパ 黄色いチューリップ どうしたの

パパがね まちがえてちらしちゃったんだよ

伸びた雑草を抜いたときに
いっしょに花びらをむしってしまったらしいのだ

毎日美空は同じことを聞いてきて
毎日僕は同じように答える

美空は黄色いチューリップが好きだったのだ


海の四季

さよさよ さよさよ さよさよさ
静かに寝息を立てている
とろんとした春の海

ろろろん ろろろん ろろろんろ
でっかい声で歌ってる
ぱっとした夏の海

さささあ さささあ さささあさ
思い出話が続いてる
しんとした秋の海

ごごごお ごごごお ごごごおご
誰も来るなと叫んでる
どんとした冬の海




2020年2月7日金曜日

まえだとしえ『天気予報』


まえだとしえ 『天気予報』 第三詩集

2020125日発行 四季の森社 定価1200円+税

A5判変形 上製本 96ページ 絵 まえだとしえ

 ISBN978-4-905036-20-3 C0092




母や父、遠い日の友

故郷への限りない思い出を通して

<無償のやさしさ>に出会う詩篇たち

菊永謙(詩人、児童文学評論家)




まえだとしえ

加賀白山山麓の小集落、東二口(ひがしふたくち)

生まれ。鶴来(つるぎ)高校卒。金沢大学医学部付

属看護学校卒。同付属病院勤務。金沢の詩誌「笛」

同人となる。結婚後、上京。子育ての時期、児童文

学者・岩崎京子先生の文庫に親子でお世話になる。

児童文学者協会の通信講座にて川村たかし先生の指

導を受ける。同人誌「アルゴル」「森」「ひなつぼし」

「木曜童話会」「虹」「少年詩の学校」などに詩、エッ

セイ、童話を発表。詩集『た・か・ら・も・の』(リー

ブル 2007年)。日本児童文学者協会会員。





詩集より









大きなおおきなふしぎは

山のくぼみから わきでる水のこと



雨が何日もふっていないのに

水はとぎれることなくあふれ

幼いわたしは しゃがんで

ふたつの手のひらですくって

なんども 口にはこんだ



かすかにあまくて おいしい

清らかな水を生む山並みは

遠い遠いふるさと



都会のざわめきと

孤独のよせあつまりの中

さまよう心が

本当の水を求めています



とぎれることのない 深い山並みの

わき水を 求めています





ざくろの花のさくころ



ひとむかしも ふたむかしも

もっともっとむかし

ゆりおばあちゃんのほほが

ふっくらと うすべにいろだったころ

いくどもいくども あめのなかで

みつめたはながありました



ゆりおばあちゃんは いま

ろうじんほーむの なかにわで

あめのなかに ひとりたたずみ

はつこいのひとと おはなしをしています



むすめのころ

きはずかしくて つげられなかったことも

すらすら いえます



少女にもどった ゆりおばあちゃんの目には

つややかなみどりのなかでくっきりとさく

ざくろのはなしかみえません

ゆりおばあちゃんのみみには

はつこいのひとのこえしか きこえません



あめのなか ことしも

朱色のはながさいています









心もとなくて 目をとじる

見えない糸を たぐっていくと

はるか向こうに

ほほえんでいる 母がいる



母のうしろは

海のような

土のぬくもりのような

月影のような

ひなたのような―



 なに なーんもしんぱいいらんけんねえ

 ひとっちゅうもんは 弱いようで強い

 ひとそれぞれ 時代時代 一本道を

 のぼったりくだったりするもんよ

 こころんなかの おくのおくのかすかな

 のぞみを こんきよう じぶんのてで

 まもりそだてながらな



―はいっ ありがとう! かあさん

私の中の 少女の声が聞こえてきます